« ただ観る ただ在る | メイン | 痛みと表現 »

2008年09月07日

鮮やかさ

夏。
花が燃えてギラギラと暑い陽の中で虹色の炎みたいに光って、
燃える花はどれも真剣に花弁を開きながら、
鮮やかさとは何かを私に示してくれていると感じます。

「鮮やかさ」とは「生命の光」が、
色々なモノの中にきらりと光る瞬間の光景なのだと
私は夏の花を見る度思い出すのです。
秋に葉を落とし冬眠る前の、真剣でひたむきな一途な鮮やかさを
毎年夏に学びなおすのです。

もしかしたら絵でもいえる事かもしれませんが、
奇麗な色を塗りたいと絵の具で単純に鮮やで奇麗な色ばかり選び塗っても、
本質的に鮮やかな絵は描けないと感じます。

奇麗な色合いの薄っぺらい絵と鮮やかな絵の違いとは、
「鮮やかに生きようとする命」の輝きを表現する為に最適な色を、
意識して選ぶ事が一番重要だと思うからです。

以前、
たった1週間程の入院で病室から出ない生活を体験したことがあり、
病室を移動する為に外づけの階段を使用する為、
ほんの2分程度の事でしたが、
外の非常階段の踊り場にでただけの時間に強烈な体験をしました。

扉を開けた瞬間の眩しい程の外の景色。色の洪水。
嗅いだ空気が大げさでなく、甘くてトロリと感じる程でした。

毎日窓から漏れる音や明かりで、
外の喧噪も朝や昼が来てる事も知っていたけれど、
こんなに鮮やかだったとは。。。
久しぶりの外の世界は目を開けていられないくらい鮮やかさの洪水。
視覚、聴覚、味覚、
この全てがたった数日の間に変わってしまった様でした。

それ以前は街の空気なんて、
排気ガスと多くの飲食店の匂いが混じって「うぇ」っと思っていただけで、
本当は空気って甘かったんだな、って
このざわりとした嫌だと思った匂いは生命の匂いだったと、
その時初めて識りました。

風はなんて複雑で素敵なんだろう。
無味無臭のはずの空気が甘くて、「うぇ」と思ってた
種々雑多の匂いが変に懐かしくて。
その後は、太陽の光が跳ねて、階下の大きな柿の木に茂る葉を
風にのってツヤツヤと踊りながら滑っていく光の粒まで見えた気がして。

2分間の間後には退院まで、素晴らしい外の景色は終わってしまったけど。
退院して暫くしたら、あの感覚も消えてしまったけど。
心が乾いた時にしみてくる景色は普通なんだとあの時体験させてもらいました。

あの時、一緒に移動した人達も口々に私と同様の体験を話していたので、
私独りだけの体験ではない様でした。

つまり「美」の本質の側面としては、
感じる心がその「普通」を美しいと思うか、煩く思うかの違いだけなんだと識り、
世界はいつも、もしかしたら完璧に美しいと、
生きている情景とは鮮やかなのだと、夏が来ると思い出します。